私たちの考え

県陵二六会生の近況報告「B組 小林隆さんの原稿を掲載」

小林さんの原稿は、信濃毎日新聞に入ってくるタウン情報の
4月27日付「読者エッセイ」に掲載されたものです。
小林隆さんも田中公男さんと同じく、長い教員生活を送られ、現在は自宅で鋭気を養っております(古川)

以下、掲載された原稿になります。

「ノーコンの愛」

小林 隆

 「こらあタカシ―。止まるな―。行け―。」
登園拒否児は、いつもの様に、父親に怒鳴られていた。「女の子達に、負けてるじゃねえか。A子ちゃん達は、喜んで行くぞう。情けなくねえか―。バス停に向かって、さっさと歩けえ。」

 『完全黙秘』の僕。心の中では、小声で猛反発。間違いなく、父の怒りのスイッチは入った。「行かねえんなら…こっちから行くぞ―」の声。容赦なく、飛んで来る石つぶて。家へと続く道は、完璧に封鎖された。

 【鬼親父 ノーコンの愛 石に込め】

 今から、58年前、穂高町(現安曇野市)牧での出来事である。親子の面子を懸けて、繰り広げられる毎朝の死闘。勝利は常に、父の掌にあった。しかし、残念な事に、勝負の数だけ息子の心は閉ざされた。

 僕は、人との関係を結ぶのが苦手。自己表現が苦手。言葉の意味するところを理解するのが苦手。色々な事象のルールを把握するのが苦手。嫌という言葉を発することが苦手。麩の味噌汁が苦手。歯応えのないものが苦手。

声なき声で、拒否する行為でしか、本音の部分を伝えられない僕。小学校1年生の時の担任の先生が、「タカシ君は、箸にも棒にもかかりません。」と懇談会で、告げたと聴いた。亡き母が、悔し涙を浮かべながら、度々話してくれた。先生は、本当にこんな言葉を口にしたのか。母の僕に対するジレンマが、話を創作させたのか、今となっては分からない。

 いずれにしても、僕が大人達の頭痛の種となっていたことは、事実だと考えるしかない。
 小学校3年生の時、タカシは小谷村の学校へと通っていた。彼の居場所は、唯一校庭の柳の木の下。いつもそこをねぐらとして、一人でたたずんでいた。石投げ名人の父は、この頃肩を壊したのか?息子を、遠くから見守るのみだった。担任とは、手紙でやり取りしたらしい。遠目に見ている大人達の存在は、僕にとって、救いだった。自ずと居方は変化した。

【柳葉の さやけき音色 見守りぬ】



※余談
世の中に、「登校拒否」「不登校」という言葉が、浸透する前から、私は不登校児の最先頭を走っていた。小学校3年生の頃、「登校」という言葉を耳にしては、おう吐していた。「学校」という言葉を耳にすると、心身共に萎縮していた。精神安定剤を常用していた時期もあった。
 そんな人間が、教育の道を歩んできた。しかし、こんな人間だからこそ、不登校児・生の心が見通せたこともある。何となく、通じ合うものを共有したこともある。
 
様々な状況に追い詰められる中で、絶対に必要なものがあると気づかされた。それこそが、『心の拠り所』である。いざという時に、逃げ込める。もう、これ以上と言うときに、身を隠せる。休みたい時に、くつろげる。エネルギーを蓄えたい時に、守ってくれる。ここぞという時には、背中を押してくれる。そんな場所である。そんな空間である。そんな気持ちである。
 
どんな波があっても、へこんでも、落ち込んでも、心配したことはない。「誠実に」自分のやるべき事をすれば良い。やるべき事と「きちんと」向き合っていけば良い。私は、そう信じている。今回は、私の現状を知っている田中公男君が、優しくそっと背中を押してくれた。
 感謝のひとことである。

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